①小1の話のまとめ 

○月X日

息子(以下、宇宙少年)が通う小学校には当時、支援級がありませんでした。

普通級でも出来るかな?、、、と思ったのがXでした。

GW明けより『 ぼく、いかない 』となりました。

私(以下 母・えむ)は大泣きです。本当は宇宙少年が1番泣きたかったんですよね。

ここから、私たち親子の2人3脚 珍道中の始まりです。

不登校は孤独との戦いです。

学校へ行かないとなってから、パニック状態でよく覚えていませんが、不登校になると学校や登校班へ連絡等、とても大変でした。

学校へ行かないだけで、世界がひっくり返り、生活が一変しました。

先生からは『 お家での環境が良くなると、学校へ足が向かなくなるから居心地を悪くして下さい 』と言われました。

学校の常識は世間の非常識です。

家は安心安全な場所。いいんです、1番快適で楽しい場所で!!

そもそも不登校のきっかけは担任教師からのパワハラが原因でした。担任は定年前の最後の年に、自分から新1年生を受け持ちたいと希望したそうです。

この担任(自称ベテラン)が宇宙少年、我々家族の運命を大きく変えてしまいました。

学校での最初の面談で開口1番、担任が口にした言葉は『 お母さんが悪い 』でした。

私や家族、ましてや宇宙少年の心配はなし

本当にあなたは人間ですか?

教師は世の中で1番冷たい人 と教えてくれた人がいます。

これは経験値ですが、先生には “当たり“ と “ハズレ“がいます。これは間違いありません。

この後、とてもいい先生と巡り合うことができました。今でも連絡は取り合っています。(^^)

担任(自称ベテラン)はさぞ、気合いが入っていたんでしょうね、毎日の様にアポなしで家へきました。自分が原因で児童が学校に来れなくなったと、言われたくなかったのでしょう。

宇宙少年は担任が来ると、怖くて隠れていました。

ある日、ねんどでの作品を作らせる為にやってきた担任。勝手に上がり込んで1人で作って帰っていきました。

興奮してねんどをこねている担任と、大泣きしている宇宙少年とのハザマで『この先どうなるんだろぅ、、、』と不安な気持ちを抑えきれなかったのを覚えています。

また校長との面談で担任の悪行、身勝手さ、宇宙少年は担任のことが大嫌いであると伝えました。

どんなに不利な状況でも、学校は先生を守ります。

児童・親は二の次です。

そして決して、謝りません。

これは、体質としか言いようがありません。

小学校にはカウンセラーもいました。今までの経緯を伝え、改善策をお願いしましたが

『 私も宇宙少年と同じく春から赴任してきた同じ1年生です。学校でうまくやっていきたいので宇宙少年の、お母さんの力にはなれません。 』とハッキリ言われました。

何でこんな人がカウンセラーをやっているのか、私にはわかりません。

通っていた幼稚園に相談したら、園長先生が学校へ話し合いに行ってくれました。宇宙少年の好きなこと、苦手なことを伝えて、柔軟な対応を求めて下さいました。園長先生には本当に感謝しかありません。この場を借りてお礼を言わせて下さい、ありがとうございました。

教材室は教室ではない。

教室へ入れなかった宇宙少年のために、お部屋を用意しました。コチラで様子をみて下さいと連れて行かれたのは1年生の教室から遠く離れた算数の教材室でした。

朝1回、担任が来てから帰るまで(お昼まで)、誰も来ませんでした。(マジです。)

教材室は教室ではありません。こんなに暗くてホコリっぽい場所に幽閉し、完全に放置でした。いくら支援級がないからとはいえ、あまりにもヒドイ対応で、もう2度とこの学校には行かないと強く誓いました。

現小学校には不信感しかありませんでした。本当に対応が悪いので転校を考え始めました。

お隣の小学校(S校)には支援級がありました。この学校は近隣校の支援級へ通いたい児童が集まる、総本山的な、歴史のある小学校でした。

S校の支援級へ転校をお願いしたく、また校長と面談をする事になりました。

今回は重大な局面を迎えるため、ここは夫(アスペルガー気質のK氏)に行ってもらう事にしました。

が、やはり話の本筋がズレていました(涙)

夫)『 何でこの学校には支援級がないんですかっ! 』

校長) 『 教師と教室の空きがありません。 』

夫)『 臨時の職員でも募集して、校庭に仮設の教室を建てればできますよっ!! 』

アホーっ!S校へ転校させてくれって話なのに、支援級を作ってくれって、何の話をしてんだよ!!

・・・後日・・・

校長)『 お父様があれだけ熱意を持っておっしゃってました支援級、来年度予算で作ることが決定いたしました。宇宙少年くん1番に入級していただけますね。 』

転校希望だから、絶対に入らないぞー(母・えむ)

・・・後日談・・・

次年度、本当に支援級ができました。

たくさんの入級希望者が殺到したそうです。わざわざ遠方から引っ越して来られた方もいたそうです。友人の子供も入級が決まり、宇宙少年のお父さんには感謝だねーと喜んでいました。

S校のサポート教室への入級が決まりました。

お隣のS校にはもう一つ、サポート教室という教室がありました。(支援級がよりもサポートが手厚い)

サポート教室は、支援級に入級してしまうと通えないというルールがありましたが、低いハードルから越えられるようサポート教室から始めることにしました。

宇宙少年は新しい場所、新しいことが苦手です。急にS校のサポート教室に通うよと言っても、見通しがついていない為、不安で一歩もに進めません。

まず初めの一歩として、S校の周りを見に行くことにしました。少し慣れてきたなと思ったら、少し入って下駄箱をのぞいてみたりして、何度も何度も慣れるまで通い続けました。

せっせと通った甲斐もあり、宇宙少年はずいぶんS校に慣れてきました。校庭の遊具で遊ぶ姿は、すごく楽しそうです。(S校から許可済み)

そんな中、S校サポート教室の先生に会えることになりました。『 またパワハラ教師だったらどうしよう、、、』と不安な思いを胸に会ったのを覚えています。

サポート教室の先生(以下、F先生)は年配の女性の先生で、とても穏やか。そして天然ボケが入ったやさしい先生でした。(私だけ先に面談で会いました。)

F先生は放課後のの校庭をウロウロし、遊具で遊んでいる宇宙少年を見て『 とても頑張っている親子さん、私を宇宙少年の担任にさせて下さい! 』と校長に直談判して下さったと、後日聞きました。

そしてついに、お隣のS校にあるサポート教室への入級が決まりました。

が、問題は教室に入れるかです。前日に学校へ行くこと、年配のやさしい女性の先生であること。教室の間取りを絵に描いて宇宙少年に見せました。(事前の見通しが必要)

当日宇宙少年はIKEAで買った犬のぬいぐるみ(通称ダグ)と一緒に学校へ向かいました。

教室には拍子抜けする位すんなり入れ、F先生とも挨拶できました。これから始まる学校生活に期待と不安で押し潰されそうになりました。

サポート教室は週に1回、決まった曜日に2時間の枠で通えます。(もし曜日を決められるのであれば、月曜日以外がオススメです!意外と月曜日は振替休日とか祝日が多いから!)

不登校になると『 今はお休みした方がいいですよ。 』と言われたりします。

私も何度も言われたことがあります。この言葉はとても冷たく感じますね。まるで世間から置いてけぼりにされた様な、とても孤独を感じる言葉でもあります。ただ今、この言葉を思い返してみると、

お休みする事は未来への心の安定につながります!

と、自信を持って言えます。先の見えないお休みは本当に不安に感じますが、お休みをする事によって、心に栄養をつけて元気になります。

これは本当の事です。

サポート教室は皆勤賞という訳にはいかず、お休みする日が続きました。この時期は絶対学校に行かせたいとか、勉強が遅れてしまうとか(実際に勉強はしてません)そういう気持ちは一切なく、

ただ理解がある人の力を借りながら、宇宙少年を育てていきたいと思っていました。

お休みしている間もF先生との連絡は続いており、今後の事を考えていました。

ある日F先生から『 宇宙少年の好きそうな古い宇宙の本があるから、借りにきなよー 』との提案で学校へ行きました。校舎の外でF先生が待っていてくれました。本を借り、家で楽しそうに読んでいました。

低いハードルを越えて、楽しかったと思って帰るのがポイントです。何度も何度も低いハードルを越えて、自信をつけることが成長につながります。

F先生は自分に対して、怖いことはしないんだなと少しずつ分かってきたようで、またサポート教室に行けるようになりました。F先生の宇宙少年は波長が合うようで、楽しく過ごせるようになっていきました。

昼間にお散歩していると、必ず『あれっ?今日学校は?』って聞かれます。

毎度のことなんで、『 今日は学校休みなんですぅ(^^) 』って答えます。

何も悪い事をしていないのに、悪い事をしているような感覚になります。

学校へ行かなくなると、家で過ごす時間が長くなります。コロナ禍になって家こもりが増え、世間のお母さんが『 ごはんを3食作るの大変よ〜 』なんて言っていますが、私は毎日3食作ってます!!今でも作ってます!!

見守ることが大事!

発達障害の子は食べ物の好き嫌いがとても多い子がいます。宇宙少年もそうでした。

こんなに偏食(イクラとチョコレートが好き)でも生きていけるか心配になりましたが、掛かりつけの小児科の先生が『 大丈夫!死にはしないよ!生きていくのが大変なのに、食べるものまでアレコレ言われたら可哀想だから好きなものを食べさせてやりな! 』

と、超ビックなお言葉を頂いたので、本当に好きなものだけ食べさせていました。(今は好き嫌いなし) 

口うるさく言うのではなく、見守ることが大切なんですよね。(^^)

S校へ転校(転籍)したい。

学校で宇宙少年に給食を食べさせたい!との思いから、また校長と面談をしました。

まず学籍がS校にないので、転校(転籍)したいと相談しましたが大きく2点言われました。

①すぐに転校(転籍)はできないとの事でした。最低でも1〜2年はサポート教室に通級したと言う実績がないとダメだと言われました。(そりゃそうだよね、、、)

②ただし学籍がなくても本校の児童として、学校に来て下さい!との事でした。(^^)

とりあえず、あせらずに通級しようと強く思いました。

児童が友人関係(いじめ等)で嫌な思いをした。学校・先生の対応があまりにもヒドくて、お母さんが、うつ病になった。等の理由があるときは、転校できるとウワサを聞いたことがありますが、これは都市伝説です。(笑)

F先生に教えてもらいました。学校側と面談(校長や担任)するときは必ず最初に『 いつもご配慮頂いてありがとうございます。 』と感謝の言葉を伝えてから話し出して下さいと、、、。

何かを伝えたい時に、伝える人の順番を間違えると、必ず誰かを怒らせてしまいます。(笑)

フリースクールについて

今から約10年前(2011年頃)はフリースクールはほとんどありませんでした。今は学校へ行かない(行けない)子の選択肢も広がって、フリースクール等、子供の居場所が増えましたね。

そんな頃、発達障害をメインとしたフリースクールが家から車で1時間のところにできたので、見学しに行きました。何度か通わせてもらって気が付きました。

フリースクールも学校と同じで、ソコにはソコのルールがあって自分自身に合わなければ、通えなくなるという現実がありました。

キャンプがメインであった事(アウトドアは基本苦手)、やっぱり先生が怖かった事など、この子にピッタリと合う環境(居場所)を見つけるのは中々ムズかしいです。

いつも思いますが、フリースクール等の利用は月謝制ではなく、1回ずつの利用券にしてもらいたいです。(そんなには通えないよー笑)

結果から言うと、フリースクールはすぐにヤメテしまいました。宇宙少年の成長がまだまだだった事。当時としてはハードルが高すぎました。(反省)

フリースクールはNPOで運営している所が多いですが、お役所で運営している所もありました。話を聞くと『 子供を小学校へ戻す事を最優先に対応しています! 』との回答でした。

この考え方は危険です。学校は戻す事よりも、なぜ学校へ行けないのかを考えないと行けないのに!!

しかも先生方は元教師(天下り含む)で構成されているとの事でした。(絶対ムリ!!)

子供の気持ちに寄り添う

学籍の事、給食の事など、問題は山積みですが、止まっていても始まらないので、前へ進む事にします。

F先生と楽しく話しているなと思ったら『 帰る 』と言って帰る事もしばしばありました。

子供の気持ちに寄り添う。この行動は簡単なようで、一番ムズかしい。この言葉とお休みが未来への心の成長と土台を作ったのだと、今は思えます。

あのGW明けの『 ぼく、いかない 』から早くも小学1年生が終わろうとしています。

人生はまさかの連続だと言いますが、本当にまさかの連続でした。

不登校から、隣のS校のサポート教室に通級するようになるなんて、誰が予想できたでしょうか。

小学2年生へつづく

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